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小説作法の読み方……え?

 特に野心があるわけではないが、いわゆる小説作法の類、それからシナリオの書き方的な本はかなり読んだと思う。この手の本はたぶん「いつかぼくも(あるいはわたしも)小説のひとつも書いてやる」とか「もの凄いシナリオをものして、テレビドラマの世界を席巻してやるぜ(あるいは席巻してやるわ)」と思う人が読むものだと思う。

 しかし、そういう野心がない人――小説もシナリオもこりゃ最初から読むもの(もしくはドラマになったものを見るもの)と割り切っている人でも、読んでそんにはならない(と、思いますがどんなものでしょう)。あれは読み物として結構面白い。嘘だと思うなら、騙されたと思って、さあどうぞどうぞ――。

 筒井康隆さんの『乱調文学大辞典』と一緒になっている『あなたも流行作家になれる』なんか本当に面白い。あのとおりにしたからといって、とても流行作家になれるとは思えないが――なれる人もいるかもしれないが、そういった人はたぶんそんなものを読まなくても最初からなれる人だという気がするのだが、とにかく面白かった。たしか筒井康隆さんは、ポプラ社から出した「SF入門」という本でも小説執筆の勧めみたいなことを書いていた。子供向けの本だがこれも面白い。

 誰のエッセイだったか忘れたが、そもそもこの種の『××すると△△になれる』的な本の著者に、超一流の人はいないと書いていたのを読んだことがある。筒井康隆さんも同じことを書いていた。流行作家にいま一歩及ばず(書いた当時)、嗚呼あのときああしておけば一流になれたものをと後悔の臍の緒を噛み切っているからこそ書ける――と、そう書いていた。「後悔の臍の緒云々――」という言い回しは、時々使わせていただいております(笑)。どうです、役に立つでしょう《役にたたねえー(-_-;)》。

 しかし、S・キングも小説作法の類を最近出したから、必ずしも超一流はこの手の本を書かないという方程式はあてはまらないようにも思う。それとも時代は変わったのか。

 ディーン・R・クーンツはその名も「ベストセラー小説の書き方」という本を出している。しかし、読んでみてもこれでベストセラー小説がかけるとは思えなかった。いや、そもそもこれを読んだからといって小説がかけるとすら思えなかった。が、これも読み物としては面白い。文体について語るとき、「マチルダおばさん」を引き合いに出した喩えは、説得力はないが、この人なにを思ってこんなことを書いたんだろう的な面白さはあった。それは、確かにあった。

 都筑道夫さんの本では、かなり残酷に言い切っている。面白い話がかけないと思う人は書けない――と。つまり小説を書くというか、面白い話を作るのは、九割がた才能で努力や練習でどうにかなるものではないというのである。いくらサッカーが好きで努力しても、ロナウジーニョになれないのと同じことだ。いささかみもふたもないが、いっそこのくらいはっきり言ってもらったほうが、さっぱりしていいかもしれない。しかし、どうだろ。ロナウジーニョにはなれそうもないが文章を書くことならできそうな気もする。都筑さんは面白い話がつくれないと思う人は――というような言い方をしていた。つまり自分はつくれると思えばいいわけである。するとこれは思い込みということだ。思い込みなら自己暗示という手もあるぞ。イメージトレーニングでもすればうまく行くかもしれない。

 いくつか読んでみてわかったことがある。皆言っていることが違うということだ。人の数だけ、小説の書き方があるということがわかった。これだけでも立派なものだと思う。それでいてとどのつまり、皆究極の一点にたどり着く。

 たくさん読んで、たくさん書く。

 結局はここにたどり着くのだ。これしかない。つまり小説の書き方というのは、そもそも教えようのないものらしい。言われみれば、そのとおりだという気もする。顔がちがうように個性がちがう。Aにとって最高の方法は、Bにとっての最悪の方法かもしれない。ある人はとにかく構成をしっかり立てろという。S・キングはそんなものはいらないという。本当にそう書いている。思いつくまま気の向くまま、筆を進めればいいというのである。これは必ずしも、小説作法の類ではないが、パソコンのよさは思いつたところから書けることだと書いていた人がいた。構成をしっかりと書いていた人は、確実にS・キングよりも売れていないから、S・キングのいっていることが正しい――と、ならないところがややこしいところだ。

 そうだS・キングはこんなことも書いていた。

『第一稿―10%=第二稿』

 つまり、初稿から10%削除したものが第二稿になると。そうなんですか? 誰か小説を書いている人がいたら教えてください(笑)。

 ぼくは本質的に作家は嘘つきだと思うから、書いていることをそのまま真に受けることはないと思っている。しかし、小説の書き方だって、小説の一形態《強引な持って行きかただね、どうも(^_^;)》だと思えば、純粋に読み物として楽しめばいいと思っている。

 小説は、言ってみれば究極の私的作業みたいなところがある。いってしまえばどれもこれも私小説だ。芸術表現といえども人間行為の一種なら、それぞれの癖があって当たり前だ。だからこそ面白いのだ。どれもこれも同じなら、ちっとも面白くない。芸術作品は、規格品でないから高い金を出してでも買おうという気になる。
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