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冒険少年――11

(あまり見るなよ)
 奴はそう言ったが、俊哉は男から目を逸らさなかった。
(相手に気づかれるとまずいことになるかもしれないぞ)
 それはわかっていた。しかし、男が身にまとっている不吉な影……そうか、あの男は不吉なんだ。俊哉は男から感じた違和感の理由がそのとき見えたような気がした。音楽を楽しんでいる雰囲気ではない。それはよくわかっていたのだが、それ以上、それだけではない何かを感じ、その理由を考えていた。いまその理由がわかった。男の全身からゆらゆらと陽炎のように立ち昇る気配をどう呼ぶか、そのことを考え続け、その答えをいま見つけたのだ。男は不吉な影そのものだった。
(そこまでわかっているのなら、もうやめろ)
 気になるんだよ、奴が。
(関係のない男だろう)
 わかってるって、だが――
(だが、なんだ?)
 俊哉は答えることができなかった。相手がやばそうな相手だということを知りつつ、なお相手を刺激するような真似をしている。いったいどういうことだろう。これじゃまるで喧嘩を売ってるみたいじゃないか。
(ほら、気がついたぞ)
 男が俊哉の視線に気づいたのは、気配を感じたからというわけではなかった。おそらく帰ろうとしたのだろう。演奏しているブルースに背を向けようとして、体を反転させたとき、俊哉に気づいたのだ。男の視線は俊哉を通り過ぎようとして、ふと気づき、もう一度戻って確認し、そして気づいた、そんな感じだった。
 間違いないのは、男と目があったということだ。その眼差しを受け止めたとき、俊哉の心に小さいが後悔の気持ちが芽生えた。奴の言うことを聞くべきだったかな。まるで底なしの穴のような、男の目だった。虚ろでありながら、しかし、どこかに冷笑が潜んでいた。常に何かを嘲笑いながら、誰も、何も――自分さえも愛していない者の目だ。なにをしでかすかわからない危険な気配を、よりいっそう強く感じる。
 俊哉は相手が尋常の者ではないと気づきつつも、視線を外そうとしなかった。
(馬鹿だな)
 奴が苦笑まじりに言った。
 俊哉はその声を無視した。男の視線から目を逸らさなかったのは、絶対に逃げないという意志の表れでもあった。志乃ちゃんに言ったとおり、俊哉は習った古武道を喧嘩に使ったことがなかった。争いごとが嫌いだというのも本当だ。しかし、大人しいだけの少年は、本質的に殺人を目的とした古武道を習ったりしないものだ。小太刀を手に戦うということは、茶道や華道を習うこととはわけが違う。
(馬鹿なことはするなよ)
 奴はたしなめるように言った。
 馬鹿なことって何だ。
(喧嘩は嫌いなんだろう)
 大嫌いだ。争いごとなんて嫌いだよ。
(だったら、さっさと目をそらせよ。まるで挑戦を受けて立ってるみたいじゃないか)
 売られた喧嘩なら買うさ。
(自信満々だな。だが、相手を侮るなよ)
 侮っちゃいない。
(いや、侮ってる。見知らぬ相手とむやみに事は構えない。武道をする者の心構えだ。下手が上手に勝つこともある。志乃ちゃんに言われたろう)
 そう、それはその通りだった。真剣勝負は、ルールに則って行われる試合ではない。技量が相手より上回っているから必ず勝てるというものではなかった。争いの術を習うというのは、言ってみれば保険のようなものだと思っていた。使わないにこしたことはないのだ。
 男は自分から視線を逸らそうとはしなかった。
 いつまでこの状態が続くのかわからないが、おれの方からは絶対に目を逸らさない。それが俊哉の決意だ。
(馬鹿だなあ)
 自分の中から、一種の暴力衝動のようなものが湧き上がってくるのを、はっきりと感じていた。男を見ていると、あえて争いを避ける必要がないような気持ちになるのだ。
 俊哉は男が自分に向って近づいていくる様子を想像した。
(あいつとやりあうのか)
 成り行きだよ。
(本当に馬鹿だよ)
 想像の中で、男はすでに俊哉の前に立っていた。
「兄ちゃん」
 と、男は言った。錆びた歯車が軋むような声だった。その顔には不適な笑みが浮んでいた。男には誰に対する恐れもないのだということがわかる笑いだった。本当に笑っているのだろうか……笑いと呼ぶには、それはありまにもぎこちなかった。これまでの人生で一度も笑ったことのない男が笑えば、あるいはこんな不器用な笑顔になるかもしれない。
 俊哉は黙っていた。
「おれとやる気か」
 俊哉は深呼吸をしそうになる自分を抑えた。呼吸を読まれるのはまずい。
「あんた次第さ」
「おれはまだ何もしちゃいない。眼を飛ばしてきたのそっちだろうが」
「音楽を楽しんでいる男の目じゃない」
「どんな聞き方をしようがおれの勝手だよ」
「そのうち聞いているだけじゃすまなくなる」
「どうしてそう思う」
「あんたからは不吉なにおいがする。音楽を楽しむような心の潤いがあるとは思えない」
「言ってくれるな」
 男はまた笑った。目と口が真っ黒に見えた。漆黒の闇が仮面を被っているのだ。俊哉は男の正体をそのとき見た。
「おれが怖くないのか」
「怖くない。いつだって相手をしてやる」
 俊哉は嘘をついた。その嘘が見抜かれているような気がした。
 男は笑った。声を上げて。その哄笑は、がらんどうに響く雷鳴のようだった。俊哉はひやりとした。
「がきのくせにえらい自信だな」
「そりゃみっちり鍛えている」
「アマチュアとプロは違うぜ」
 男の笑いが向こうに見えた。たしかに笑った。ここまでのことは、俊哉の想像の世界のことだ。だが、今見ている男の笑い顔は、現実のものだった。当然のことに、男は元の場所を一歩も動いていない。目も口も、普通の人間の口で、決して、そこから男の本質である漆黒の闇が覗いている――ということもなかった。
 しかし、男の笑い顔は、俊哉が想像した笑い顔と驚くほど似ていた。
 男が背を向けたとき、俊哉は正直なところほっとした。
 そのまま男は立ち去った。
「またおうぜ、続きはそのときだ」
 俊哉は男の声を聞いたような気がした。

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冒険少年――10

 それにしても、おやじとおふくろはどんな青春時代を送ったんだろう。俊哉はブルースを尾行しながら、そんなことを考えていた。
(親のことが気になるのか)
 奴がからかうように言った。
 そうだな、気になるな。今はじめておやじとおふくろの青春時代はどんなだったんだろうって、考えるようになった。
(青春時代か、大時代だな)
 他に呼び方があるのか。青春時代って言い方が古臭けりゃ、若かったころって言えばいいのかよ。
(そうとんがるなよ。おやじさんにもおふくろさんにも、若かったころはあったさ。二人は同い年なんだぜ)
 そうだった。すっかり忘れていたが、おやじとおふくろは同い年だったんだ。指摘されて、そのときはじめて気がついたような気がしたが、もちろんそんなことはない。いくら断絶があるからといって――断絶か、これも古いな――親の歳くらいは知っている。
 いつもと違うな。俊哉は自分がいつもと違うことを意識していた。志乃ちゃんから高校時代のおふくろについて聞かされてから、妙なことが気になって仕方がない。
(妙ってことはないだろう)
 奴は笑っている。まあ、笑われてもしかたがないな。俊哉は納得していた。奴の言うとおりだ。それは、妙なことじゃない。両親のことを気にかけるというのは、当たり前のことかもしれない。
 おふくろは不良だった。志乃ちゃんの話だと硬派の不良だ。なあ、おやじとおふくろって同じ学校だったのか?
(大学が同じだったということは知っているが、それ以上のことは知らない。お前が知っている以上のことは何も知らないよ)
 そう、知るはずがない。まるで他人のように話しているが、相手は自分自身なのだ。俊哉は苦笑する。おふくろは不良だった。あちこちで喧嘩をしていた。それでもどうにか大学へは進学したのだ。そしておやじと知り合った。ふたりは結婚する。そのころ、素行はおさまっていたのだろうか。普通に考えれば、おやじとおふくろに接点はない。それともおやじもいまはあんなだが、わかいころはいっぱしの不良だったのだろうか。いや、それは考えられない。いくらなんでもそれは――。
 前を行く、ブルースの背中に、なぜか母親の姿が重なった。
 まさかね――俊哉は思わず苦笑を漏らす。おふくろは鼻歌程度しか歌わない。ミュージシャンとあのおふくろを重ねるなんて……
(そうなのかな)
 何だよ、なにかまちがってるか?
(それにしてはおふくろさん、音楽にやたらと詳しかったと思わないか)
 その指摘は、俊哉をはっとさせた。
(鼻歌程度しかうたわないそのへんのおばさんにしては、聞く音楽の幅が広かったじゃないか)
 ……それは、ある。たしかにおふくろと音楽のかかわりについて言えば、鼻歌程度しか歌わないおばさんにしては、所有しているCDの数は相当なものだった。よく口ずさんでいた古いフォークソング、他にもジャズ、ブルース、民族音楽、シャンソン、ラテン、クラッシク、ほとんどあらゆるジャンルのCDを持っていた。歌謡曲――《ちあきなおみ》だったかな――もあった。普通では売られていないような歌手のCDも持っていた。たとえばきわめて政治色の強い唄を歌うような歌手のCDだ。
(おふくろさんはほんとうに普通のおばさんだったのか)
 奴の声は笑いを含んでいた。俊哉のあさはかさを、嘲っているようだった。
 俊哉は考えをあらためざるを得なかった。おやじとの関係も含め、あのふたりのことについて、おれは何も知らない。そのことを、認めざるをえなかった。

 徒歩で十五分。
 俊哉がブルースの尾行に要した時間だ。
 目的は果たした。ブルースの住まいを突き止めること。今日の尾行のテーマだ。
 俊哉は戸惑い、驚いていた。
 ブルースが入っていったのは、とある高級マンションだった。セキュリティも万全のそのマンションは、この小さな地方都市では最高級の部類に属する。そうとうの経済力がなければすめるような場所ではなかった。
(音楽的な才能に恵まれた貧しい少女という予想は外れたな)
 予想じゃない。勝手な想像さ。
(人はいつだって勝手な想像をする。しかし、それがいつか現実のように思えてくる)
 …………
(やっぱりお前は甘いよ)
 甘いさ。だからって誰かに迷惑をかけるわけじゃない。
 ブルースがマンションに入っていた後も、俊哉はしばらくその場を動かなかった。



 想像していたような人間ではなかったが、ブルースが俊哉にとって魅力的であることに変わりはなかった。いや、むしろ興味という点では、知る前よりもさらに強く興味を感じるようになっていた。この街でおそらくトップクラスの高級マンションに住みながらブルースを歌う彼女は、いったい何者だろう。両親と暮らしているのだろうか。まさかひとりであんなところに住んでいるとも思えなかった。3LDK。一人で暮らすには広すぎる部屋だ。それだけ恵まれた暮らしをしながら、なお彼女が歌うブルースは心に響いた。そして、あの顔の傷だ。左頬に何本も走るあの傷。高級マンションとそれらはミスマッチで、そのことがいよいよ俊哉のブルースに対する興味をつのらせるのだった。
 住まいを突き止めた後も、俊哉は時間の許す限り、ブルースの路上ライブを聴きに行った。
 その男に気づいたのは、俊哉がブルースの住まいを突き止めてから一週間ほど後のことだった。ブルースの路上ライブには集まる年齢層は広い。十代から五十代まで、様々な年齢層の人びとが集まってくる。その男は四十代くらいだった。細身でわりと背が高く、白髪まじりの強い髪質の男だった。服装は地味で、肌の色艶が悪かった。
 俊哉がその男が気になったのは、その目つきだった。集まった聴衆の一番後ろで目立たないように――本当にそうしていたのかどうかわからないが、俊哉にはそのように見えた――している男の目は、絶対に音楽を楽しんでいる男の目つきではなかった。

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冒険少年――9

 しかし、その日、彼女は歌っていなかった。正直、少し残念だと思った。いや、かなり残念だったかな。歌っていないものは仕方がなかった。また来よう――そう思って視線を転じたとき、目に止まったのがふたりの少女だった。少女といっても俊哉とそう変わらない年齢だろう。そのうちの一人を覚えていた。この場所ではじめて彼女の歌を聞いたとき、聴衆の中にいたひとりだった。友達を連れて、彼女の歌を聴きにやってきたのか。そう思ったとき、俊哉はすでに近づこうとしていた。
「ねえ、ちょっといいかな」
 突然声をかけたのだが、相手は特に驚く様子もなく、
「なに」
 と、こたえた。見知らぬ男に声をかけられることになれているのだろう。
「この前、ここでライブがあった時きてたよね」
「うん――」
「ぼくもきてたんだ。彼女、今日は歌っていの」
「あたしたちもブルースの歌を聴きたくきたんだけど、今日は歌ってないみたい。残念――」
「ブルースっていうの、彼女――」
「あたしたちが勝手につけたんだけどね」
 俊哉は思わず笑ってしまった。
「もちろん、本名じゃないよ」
「そりゃわかるよ。ブルースを歌うから?」
「うん――あれブルースでしょう」
「だと思う」
 この前の三曲を聴いた限りでは、伝統的なブルースではなかったように思った。おふくろはブルースのCDも持っていたな。ロバート・ジョンソン、ジョン・リー・フッカー、BB・キング。ハウリング・ウルフ、マディ・ウォーターズ……こう考えてみると、おふくろは少しも普通のおばさんじゃなかったのかもしれない。思い出すとおふくろは時々ブルースも鼻歌で歌っていたんじゃなかろうか。都はるみならいざ知らず、ブルースを鼻歌で口ずさむ主婦なんてそういるとは思えない。
(だからさ、おまえは結局、何も知らないんだよ)
 認めるよ。ああ、認めるとも。
(ブルースの右側しか見なかったのと同じだ)
 だからそれとこれとは問題が違うだろう。
 とにかくブルースだ――たしかに彼女は、ブルースの匂いを濃厚に持っていた。音楽的に言えばブルースそのものではないかもしれないが、ハートはブルースだ。憂歌団と同じだ。そうだおふくろは憂歌団もよく聴いていた。まったく、全然普通のおばさんじゃないじゃないか。
(いよいよあってみたくなったか)
 いま、おふくろは関係ねえよ。
 奴に言い返した後――しかし、ブルースとはうまいじゃないか。俊哉は少し感心した。感心したのはもちろんおふくろのことじゃない。ブルースの魂を持ったストリートミュージシャンに《ブルース》という名前をつけた彼女たちに感心しているのだ。
「前から彼女を知ってるの」
 と、俊哉は訊いた。
「知ってるって、一ヶ月くらい前からだけどね。ここで歌いはじめたのも、そのころだったわよね」
 そう言って、友人に同意を求めた。
「うん、そんなころからだと思うよ。ほらマサヒロが、すごいストリートミュージシャンがいるって言って聴きにきたんだから。マサヒロが一番最初に見たって言ってたから、あたしたちが来たのが二回目だったはずよ」
「そうね」
 では彼女がここで歌いはじめてまだ一ヶ月くらいなのだ。
「彼女ってこの辺の人なの」
「じゃないと思うわよ、ねえ」
「うん、そう思う」
 二人と話してみて、俊哉はブルースについていくかのことを知った。誰も彼女の名前を知らないということ、この町の人間ではないということ、歌っている場所はいつも同じだということ――しかし、まだブルースの右側しか知らなかった。
 俊哉は、三度目の路上ライブを見たとき、はじめてブルースの左側を見たのだった。
(感傷的になるなよ)
 奴が言った。声には嘲笑が含まれていた。
 別に感傷的になっているわけではなかった。ただ、衝撃的ではあったな、確かに――。
 ブルースの左側。
 最初にそれを見たとき、自分の見ているものが理解できなかった。
 左頬に線を描いているのか――まるで、見当外れのことを考えていた。それが傷だと気づくのに少し時間が必要だった。
 ブルースと呼ばれる彼女の左頬には、いくつかの筋のように見える傷がついていた。明らかに鋭利な刃物でつけられたと思われる傷が、最低でも四本ついていた。ひとつの傷は長く、左目の目じりの近くから顎にまで達していた。おそらく整形手術もしたのだろう。それでも完全に消すことができなかったのだ。ブルースがブルースを歌う、それが源であるような気がした。
(そういうところだよ、おまえが感傷的だというのは)
 なるほど、そうかもしれない。頬の傷と心の傷を重ねるのは、他人の心に土足で踏み込むことと同じだろうか。
(顔に傷があるから、心にまで傷があると思うのは傲慢だよ)
 いちいちもっともだった。たしかにそれは傲慢だな。
(おふくろさんのことだって同じさ。いや、おやじさんのことだって同じかもしれない。右側だけを見て安心して、左側を見て驚く。驚いて、相手が思ってもいないことを勝手に想像する)
 どういうことだ? おれがおやじとおふくろの何もわかってないと言うのか。そうだろうか。そんなことはないと思い、そうかもしれないと思う。そのときはまだ、志乃ちゃんからおふくろの意外な過去を聞かされていなかった。おふくろとおやじの意外な過去というべきだろうか。見たものだけが真実ではない。それはわかっている。いや、わかっているつもりでいるだけなのかもしれない。本当のところは何もわかっていない。
 俊哉は母親が消えたとわかったときの父親の態度を思い出していた。あの態度を額面通りに受け止めていいのだろうか。こんなふうに考えるのもあるいは志乃ちゃんから、おれが想像もしていなかったおふくろの一面を聞かされたからかもしれない。考えてみればおれが想像もしていなかったおふくろ――有体に言ってしまえば、かなり問題があったらしいおふくろが、次男坊とはいえ、一応地方名士の矢上家の息子のところに嫁いだのだ。お互いにその意志がなければできることではない。どうしてこんなことに気づかなかったのだろう。さらに言えば、おふくろの意志もさることながら、それよりも、おやじにそれなりの意志がなければできることではなかった。すると、おやじとおふくろの間には、愛情と呼べるような絆があったのだろうか。しかし、俊夫には両親の仲睦まじい姿の記憶がなかった。本当になかった。あるいは自分には想像もできない、深い部分であのふたりはつながっていたのだろうか。たしかにおれは何も見てないのかもしれない。
 ブルースの左頬に深い傷があると知った後も、俊夫は彼女の路上ライブに通った。ブルースは週に三回から四回、路上ライブを行っていた。回を追うごとに聴衆はわずかづつだが増えているように感じられた。歌う曲が渋いからだろう。聴衆の年齢層も比較的高かった。
 俊哉は間違いなくブルースのファンになっていた。

 志乃ちゃんのところで稽古をして、その帰りにブルースの歌を聴きに行った。
 その日、ブルースがライブをしていると決まっていたわけではなかった。
 でも、もしブルースがライブをしていたなら……俊哉はまだ少し迷っていたが、半ば決心していた。もし今日、ブルースがライブをしていたなら、後をつけてみるか。
 それは悪戯心だった。だが、悪戯と言い切ってしまうには、相当真剣だった。おれはストーカーか。心の中で微苦笑を浮かべる。やろうとしているのは、間違いなくストーカー行為だ。俊哉はそうまでしてでもブルースの招待を知りたかった。
 あの頬の傷が、ブルースにブルースを歌わせる動機ではないとしたら、ではいったいなにがブルースにブルースを歌わせるのか。正直なところ俊哉には音楽的なことはよくわからなかった。それでも、ブルースの歌う歌が、心に響く何かを持っていることだけはわかった。他の誰かのことは知らない。少なくとも俊哉の心に、ブルースの歌は響くのだ。だからブルースのことを知りたかった。本名は? 家族は? 住まいは? ブルースが路上ライブをはじめて一ヵ月半――二ヶ月も過ぎていない。もしかすると、どこかから引っ越してきたのか。俊哉の中でブルースに対する想像は再現もなく広がっていくのだった。
 たとえばブルースは桁違いの不良だったのかもしれない。どこかの商店街の中にあるちっぽけなスナック。母親と二人暮らし。住まいは店の二階だ。父親の顔は知らない。もしかすると、母親も顔を知らないのかもしれない。ブルースは私生児だ。母親は歌手崩れだろうう。歌はうまかったが、芽が出なかった。唄がうまいのは母親譲りだ。ブルースは中学、いや小学生のころからぐれはじめ、中学のころにはいっぱしの不良だった。高校にはどうにか入学したが、一日だけ行ってやめた。その後、町の不良たちと付き合い、ギャング団の一員になる。あの頬の傷はそのころ、グループ同士の抗争でつけられたものだった。ブルースはぐれていた。それは間違いない。だが、歌への情熱はいつもブルースの心にあった。母親の影響――そう、ブルースの母親はジャズを歌っていたのだ。子供の頃からジャズやブルースを聴いて育ったブルースにとって、音楽はもはや血肉だ。貧しい暮らしだったが、ブルースやジャズのレコードやCDは家にたくさんあった。ハーモニカやギターは子供のころから遊び道具だった。不良グループを抜けたのは、やはり頬の傷が原因だろう。顔を傷つけられてもブルースはめげなかったが、それまでの生き方を見つめなおすきっかけになった。ブルースは生まれ変わるために、生まれた町と母親を捨てた。そして、この町にやってきた。小さな地方都市。ここを再出発の場所に選んだ理由は何だったのだろう。それはわからない。あるいは故郷の町に似ていたのかもしれない。ブルースの心の中にある風景とこの町の風景が、どこかで重なったのかもしれない。とにかく、ブルースはこの町で歌いはじめた。ここからはじめてどこまでいけるのか、それはいまのところブルースにもわからない。しかし、ブルースは遠くまで行こうとしている。ずっと遠くまで、自分が生まれて育った町が、本当の思い出になるほど遠くまで行こうとしている――。
 すべて、俊哉の想像だ。
 まさかこんな物語が、実際のブルースの人生であるはずがないということは、わかっていた。だから、ブルースの本当の物語を知りたいのだ。
 その日、ブルースは歌っていた。
 俊哉はブルースの素性をどうしても知りたいと思った。具体的には尾行をするつもりでいた。自分でも呆れつつ、しかし、どうしてもブルースが何者か知りたかったのだ。
 それでもライブを聴くまでは、まだ多少迷っていた。いくら好きだといっても、おれがしようとしていることはストーカー行為だよな。自嘲とともに、奴の声を聞いていた。
(おまえ、そりゃ犯罪行為だろう)
 わかっているさ。だから迷ってるんだろう。
 そう、俊哉は迷っていた。その迷いも、ライブを聴くまでだった。
 ブルースはブルースを歌い、ハーモニカを奏でた。その日の出来は最高に近かった。いつものブルースがそうであるように、その日の路上ライブでも、孤独と絶望、悲しみを歌った。どんな悲しみを唄っても、ブルースの声は乾いている。それがよけいにブルースの抱えた、深い悲しみと孤独を感じさせる。ハーモニカは乾いた声とは対照的に泣いていた。時にすすり泣き、時に号泣し、怒り、咆哮する。あるいはブルースの本当の声は、ハーモニカではないかと思わせるほどだった。
 ライブが終わったとき、俊哉の心は完全に決まっていた。
(ストーカーになるのか)
 奴が笑った。
 知りたいんだよ、彼女が何者か。
 ライブが終わると、集まっていた人々はブルースの周りから離れていった。誰もブルースに話しかけないのは、彼女との間で会話が成立しにくいことを知っているからだ。ブルースは無口だった。そのことを誰も怒りはなしない。むしろ微笑ましく眺めている様子さえあった。そういう取っ付きの悪さも含めて、ブルースの唄とハーモニカを聴きに来る連中は、彼女のことを好きなのだろう。俊哉もそうだった。歌うことだけが自分と他者をつなぐ唯一のものだとブルースは思っている。きっとそうだ。そして、聴き手もそれを認めている。ある意味で、両者の間には幸せな関係が成立していた。
 俊哉も皆と一緒にその場を離れた。少し離れたところでブルースの様子を見ていた。
 ブルースはギターケースと小ぶりのバックを肩にかけ歩きはじめた。そのころになると、もう誰も彼女の周りにはいなかった。
 俊哉は少し離れて後をついていった。

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冒険少年――8



 おふくろは長谷川きよしが好きだったな。俊哉は考えていた。
(なんだ、やっぱりおふくろかさんか)
 もう一人の自分が嘲るように言う。
 うるせえよ。思い出しているだけだろう。
(あいたいんだろう)
 あいたいさ。けど言っとくぜ、おふくろが恋しいからじゃない。はっきりさせたいんだ。なぜ家を出たのか。おやじのことを本当はどう思っていたのか。志乃ちゃんと話していて、よけいそんな気になってきたのさ。
(熱くなるなよ)
 熱くなってなんかいなさ。
(長谷川きよしだろう――)
 そうだ、おふくろは長谷川きよしが好きだった。
(知ってるさ。おふくろさんは長谷川きよしの古いLPをほとんど持っていた。CD化されたものもほとんど持っていたはずだ)
 よく知ってるじゃないか。
(当たり前だろう。おれはおまえだよ)
 もちろんそうだ。俊哉にはわかっている。自分自身と語る。この遊びをはじめていったいどれくらいになるだろう。最近じゃ、ほんとうにもうひとりの自分がどこかにいるみたいに感じる。おれは正常かな……俊哉は微かに笑った。その笑みはどこかに自嘲的な色合いがあった。
(いいじゃないか、正常だろうが異常だろうが。第一、正常と異常というのは、はっきりと線引きのできるものじゃないんだぜ)
 わかってるよ。それはおれが読んだ本に書いてあったことだ――っておまえはおれなんだけどな。
(おふくろさんは長谷川きよしのCDを持っていた。それがどうかしたのか?)
 いつCDを買いにいったんだろうって思ったのさ。あのおばさんがCDを持っている。それは俊哉にとってちょっとした驚きだった。長谷川きよしだけじゃない。おれが子供の頃から聞かされた育った古いフォーク歌手――まだほとんどが現役だから古いというのはあてはまらないかもしれない――のCDも含めて、そうった文化的なものは、あの家の家具みたいなおふくろには一番不似合いなものみたいじゃないか。
(おふくろさんに失礼だぞ)
 そうだな。たしかにそうかもしれない。母親の人格をあまりにもないがしろにしているように思え、さすがに俊哉も自己嫌悪を覚えた。
(ブルースのことだろう)
 そうだった、ブルースだ。
 俊哉が彼女を見たのは、まだほんの一月ほど前のことだった。場所は津市の繁華街の外れ、路上だ。その日、繁華街のアーケード街の中にある本屋にやってきていた。本屋は好きで、特に買いたい本がなくても、暇なときはよく行く場所のひとつだった。しばらく立ち読みをして、結局、何も買わず、本屋を出て、あてもなく歩いていた。すでに学校は休学していた。アルバイトは休みだった。アーケードを出たとき、そのメロディが聞こえた。聞いたとき足が止まったのは、聞き覚えのあるメロディだったからだ。
 それはハーモニカのメロディだった。非凡なものを感じさせた。うまいと感じさせるだけのものを持っていた。次に、聞き覚えのあるメロディだと思った。が、そのメロディをどこで聞いたのか、すぐに思い出せなかった。メロディを思い出すまでの、数十秒、俊哉は立ち止まっていた。
 ヨコスカブルースだ――思い出したとき、真っ先にやってきたのは驚きだった。長谷川きよしはアルバム『街角』の中で、南正人の名曲『ヨコスカブルース』をカバーしていた。南正人も母親の持っていたCDで聞いた。俊哉は長谷川きよしの歌うヨコスカブルースが好きだった。特に間奏がいい。ツインギターで演奏される間奏は、技術云々をこえて、そのフレーズが好きだ。
 そのとき聞こえてきたハーモニカは、ほぼ完全に『ヨコスカブルース』のギターのフレーズをコピーしていた。そうとわかったとき、俊哉はハーモニカのメロディが聞こえてくる方に向って歩き出していた。
 角を曲がると、人だかりができていた。そう多くはなかったが、向こう側が見えない程度の人数はいた。
 俊哉は見物人の後ろから、中を覗き込んだ。
 彼女が歌っていた。それが出会いだった。
 正直驚いた。ハーモニカの音が聞こえるということは誰かが吹いているからだが、まさかそれが女性だとは思わなかった。彼女はギターも弾いていた。7thのコードを刻むギターにも切れがあった。ストリートミュージシャンはあまたいる。女性の弾き語りももちろんいる。しかし、ハーモニカホルダーを首にかけ、しかも相当のテクニックの持ち主となると、珍しかった。もっとも津市など小さな町だ。もっと大きな都会に行けばこういうタイプのストリートミュージシャンもいるのかもしれない。
 ハーモニカの間奏が終わると、彼女は歌いはじめた。凄いのはハーモニカだけではなかった。声も迫力があった。彼女は身長はあるが細身だった。しかし、ハスキーな声は声量があり、パワーがあった。いかにもブルースが似合いそうな声だった。歌もうまかった。彼女は美人だった。俊哉はこのとき、まだ右側からしか彼女を見ていなかったのだ。
(そうだよ、おまえは右側からしか彼女を見ていなかった)
 仕方がないだろう。
(物事の一面しか見ないのはおまえのよくない癖さ)
 きいたふうなことを言うな。
(おふくろさんのことだってそうだろう)
 それとこれとは違う。
(同じだよ)
 もう一人の自分が嘲笑う。
 勝手にしろ。俊哉は心の中で吐き捨てた。
『ヨコスカブルース』を歌い終わると、彼女は何も言わず、次の曲を歌いはじめた。どうやらそれはオリジナル曲のようだった。その曲はブルースそのものではなかったが、近い雰囲気を持っていた。素直にいい曲だと思った。

 この世の中のことを なにひとつ知らなくても 悲しみだけはわかる
 この世の中のことを なにひとつ知らなくても 絶望はいつだってそこにある
 わたしには明日を信じない 今日の幸せも 明日を約束することはない
 …………

 彼女、いくつなんだ。俊哉は曲を聞きながらそんなことを考えていた。
 まだ十分若いように見えた。自分とそれほど歳はちがわないのかもしれない。それにしてはネガティブな曲だ。ただ彼女の持つ暗さは、無意味な明るさと希望を歌うメジャーな歌手よりも、実は俊哉の気分にあっていた。
(暗いねえ、おまえも)
 もうひとりに自分がまた嘲笑う。
 ただ明るいなんて馬鹿だよ。
(親が育て方をまちがったな。明日を信じないというのは、結局、人間不信なんだよ)
 そうなのか? 俊哉は自分自身が言っているはずの言葉に、戸惑いを覚えた。なぜって、そんなことは考えてもみなかったからだ。明日を信じないのは、人間不信――そうなのか?
(おまえ、人は、本当は誰も愛さないと思っているだろう)
 …………
(愛されたことがないから、わからないのさ。人は本当に人を愛することができるということを信じきれない。愛されることのない人間は孤独だ。誰にも愛されず、たった一人で生きていくのなら、救いはない。いまだけの人間は明日に希望を託せない)
 ……おまえ、本当におれなのか。
 笑い声が聞こえたような気がした。もちろん錯覚だ。こいつはおれの潜在意識の声だよ。そうだとも、わかってるさ。
 あの日、三曲、彼女の歌を聴いた。最後の歌を歌い終わると、彼女はハーモニカホルダーを外し、そばにおいてあったバックにいれ、ギターをケースにしまった。
 彼女が歌い終わると俊哉はすぐにその場を離れた。
 俊哉はその女性ストリートミュージシャンを気に入ってしまった。
 次の休み、俊哉は同じ場所に行った。

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冒険少年――7

 俊哉が失踪した母親に対して怒りを感じていないというのはほんとだった。強がりでもなければ、ポーズでもない。しかし、まったく気にならないかというとそうでもなかった。母親が消えてまだそれほど日がたっていないころ、ふと頭を過ぎったあの疑問――おふくろはあんなやつとどうして結婚したのか。あんなやつというのは言うまでもなく父親のことだ。その疑問は、常に俊哉の胸のどこかにあり、決して消えることがなかった。志乃ちゃんなら知っているだろうか。
 その質問をする前に、訊いておかなければならないことがある。俊哉にとっては重要なことだ。
「志乃ちゃん、おれとおふくろって似てるのかな?」
「似てるよ」
 あっさりと言われた。思わず笑みが漏れた。
「そんなこと言われたことがないよ。おやじに似ているとはよく言われるけれど」
「嬉しくないんだろう」
「おやじに似てるってこと」
「そうだよ」
「おれはおやじが嫌いだよ」
「とにかく、あんたはあの子に似てるよ。不器用なところがそっくりだ」
「不器用って……そうかもな」
「学校のことだってそうだろう。休学した理由は?」
「本当は辞めようと思ってたんだ。おやじがね、一年間は休学にしろって言った。まあそれもありかなって、思ったのさ」
「嫌いなお父さんの言うことでも聞くんだね」
 俊哉は苦笑して、
「たしかに好きじゃないけどね――他に言いようがないから嫌いだって言ってるけど、まあたしかに嫌いなんだけど――どう言えばいいんだろう、どうでもいいって感じに近いんだよね」
 と、言った。言い訳じみているとは自分でも思った。しかしそうとしか言いようがなかった。直樹に対しては、ときどき殺意に似た感情にかられることがある。あくまでも似ているということで、殺意そのものでは、もちろんない。それに――ここが重要だ――いつもってわけじゃない。そう、絶対にいつもじゃない。では普段はどうなのか。もちろんおやじのことは好きじゃないさ。でもそれは憎悪とイコールではない。積極的に憎むのではなく、他人のように感じられるのだ。
「で、理由は? 学校に行きたくなくなった理由は」
 俊哉は答えられなかった。その問題については、自分なりに、これまで散々考えていた。だが答えは出なかった。つまるところ、なんとなくとしか言いようがなかった。答えは出なかったが、自分の選んだ道――つまり学校を休学したことへの後悔はなかった。
「面白くなかったからな――何だろう、すっきりしたものが欲しかった。校則とか受験勉強とか、全てのことがもやもやして、てんですっきりしていない。苛々させることばかりだった。まあそんな感じかな……うまく言えない。金持ちのどら息子のわがままだと思ってもらっていいよ。せいぜいその程度だ。絶対に違うと言えるのは、おふくろのことが原因じゃないってことだ」
 自分が、誰でも納得する理由を説明できないことはわかっていた。若い頃は誰だって迷うことが多い。あるいはそう言ってくれる者もいるかもしれない。しかし、別の見方もある。甘えだ。学校を辞めるの休学をするのと騒いでいるが、ようするに経済的に恵まれているから、そんないい気なことを言っていられるのだ。同い年で、世の荒波にもまれ、懸命に社会を泳いでいる人間はいくらでもいる。そんなことはわかっているさ。わかっていても、おれはこのやり方を選んだ。なぜってもうひとりのおれがやれと言ったからだ。ほんとうにあいつは妙なやつだ――って、結局、おれなんだけどな。やっぱり甘えてるな。学校を辞めるでもなく、行くでもない。宙ぶらりんの状態で、どんな理由を並べてみても、結局誰も納得させることはできない。それでも自分に正直になろうとすればこういうことになる。
「そういうところだよ、あの子に似ているというのは」
「…………」
「自分のことをけっこう冷静に見ているくせに、することは無茶なことばかり。考えてみればたちが悪いねえ。自分の無茶をしりながら無茶をするなんて、確信犯じゃないか。そのくせ動機については自分でも説明できない。悪いことをするときは、いいわけくらい考えておくものだよ。あの子もそうだった」
「おふくろが――」
「しょっちゅう先生にたてついてね。校則は頭から無視する、先生には口答えをする、他校の生徒とは喧嘩をする――どうしてそんなことをしたのかと訊いてもまともに答えない。そのときはそうした方がいいと思ったとか、言ってもわからないとか、そんなことばかり言ってた――こちらを納得させる理由なんて一度も聞かされたことがなかったねえ」
 志乃ちゃんは懐かしそうに言った。おふくろに困らされたことを喜んでいるみたいだった。おふくろにももうひとりの自分がいたのかもしれない。しかし、それとは別に、俊哉は驚きを感じていた。
「おふくろ、喧嘩なんかしたの?」
「したよ。手がつけられなかった」
 俊哉は母親の姿を思い浮かべた。普通のおばさんだった。友人は、綺麗なおふくろさんじゃないかと言ったが、おれの眼から見ればおばさんだ。少なくとも喧嘩沙汰とは無縁に見えた。今も昔も――。
「あの子も小太刀の稽古に熱心だったよ」
「まじ? そんな話しはじめて聞いたよ」
「そうだったかね」
 俊哉は志乃ちゃんを眺めた。志乃ちゃんは意識的におふくろのそういった部分を話さなかったんだ。間違いない。
「筋はよかったね。でも、喧嘩沙汰を起こして破門した。その点、おまえは立派だよ。小太刀の技を喧嘩に使わないから」
「喧嘩なんて嫌いだよ」
 それは本心だった。俊哉は暴力が嫌いだった。あんな不快なものはない。
「おふくろも口下手だったのさ」
 と、俊哉は言った。
「言葉を信じていないんだろう」
 と、志乃ちゃんは言った。
「おふくろが?」
「そしておまえもね。言葉で説明できることなんて本当は何もない。そう思っているんだろう」
 言われてみればそうかもしれない。言葉はどこかで嘘をつく。たしかにそんな気分が自分の中にはある。志乃ちゃんはやっぱり良き理解者だと思った。自分の中で形にならない思いに形を与えてくれる。
「でも――」
「どうした?」
「はじめてだね、志乃ちゃんからおふくろのことをこんなに聞かされたのは」
「そうだったかねえ」
「おふくろは目立たない、地味なおばさんだと思っていたよ。まさか高校時代に停学処分になっていたなんて思ってもみなかった。おふくろもけっこうやるじゃないか」
 本気でそう思った。地味なただのおばさんでもなかったんだ。かつてはとんがっていたんだ。もし、いまのおれがそのころのおふくろにあったらどう思うんだろう。俊哉の心に、細身で長身、目つきの鋭い少女の姿が浮んだ。どこかに近寄りがたい雰囲気があり、いつも何かに怒っているような少女。だめだね、俊哉は心の中で言った。その少女とおふくろがどうしても重ならない。
(そりゃおまえがほんとうのおふくろさんを知らないからさ)
 もう一人の自分が言った。笑ってるじゃないか。
 そうだな、たしかに知らないかもな。
(じゃあ、やっぱりおふくろさんを探し出して確かめてみるか)
 確かめるってなにを――俊哉は戸惑っていた。まただ。もうひとりの自分は、どうやらなんとしてもおふくろを探し出したいらしい。それって甘えてるんじゃないのか。
「大学に行ってからも色々あったんだよ」
 志乃ちゃんは苦笑に紛らせて言った。それは少し誤魔化しているようにも見えた。でも、なにを誤魔化す? おふくろの過去か。
「色々なことって」
「またいつか教えてあげるよ」
「何だよ――」
 俊哉は苦笑するしかなかった。
「おやじはおふくろの色々なことを知っていて結婚したのかな」
「そりゃ知ってるよ」
 まさか――俊哉は思わずもれそうになった言葉を飲み込んだ。
「そうなのか」
 かわりに出たのがそれだった、
「そうだよ」
 志乃ちゃんの言葉には、当て推量で言っているような曖昧さは少しも感じられなかった。ふたりが結婚をした経緯を、志乃ちゃんは知っているのだ。もしかしたら、おれが学校を休学したからこんな話をしてくれているのだろうか。少なくともおふくろが姿を消したから、こんな打ち明け話をはじめてわけじゃないだろう。だよな――俊哉は確信を得るためにもう一人の自分に話しかけた。
(決まっているさ)
 やつははっきりと答えた。それで確信がさらに強く、深くなかった。
「あの二人はおまえが思っている以上に深いところで結びついているのかもしれないよ。お互いを深く理解しあっているのかもしれない」
「まさか……」
 俊哉は言った。さすがににわかには信じることができなかった。
 志乃ちゃんは、曖昧な感じ、推測として、というニュアンスを言葉にまじえている。が、そうじゃないことはわかっていた。あのふたりは深いところでお互いを理解しあっている――志乃ちゃんはそう思っている。あるいは何かを知っている……じゃあなぜ言わないんだろう。
(だからさ、言ってるじゃないか、おふくろを探すしかないって)
 黙ってろよ、いまは何も訊いてねえよ。
 もうひとりの俊哉は、俊哉の抗議を笑って聞き流した。
(これでまた疑惑が大きくなったな)
 疑惑? なんのことだ?
(おやじがおふくろの行く先について知っているかもしれないという疑惑さ)
 そう、それは確かにそうだ。
「わたしも詳しく知らないからね。言ったろう、あの子はいいわけひとつ考えもせずに悪さをしたって。自分のことを説明するのがいやなんだろう。俊哉もそうだろう」
 たしかにそうだった。俊哉は自分の行動や気持ちを説明するのが嫌いだった。
 ほんとうにおやじはおふくろの居所を知っているのかもしれない。
 帰ることになった。
 志乃ちゃんは玄関まで送ってくれた。
「本当のことを言うとさ、志乃ちゃんはおふくろを探し出して、成敗するんじゃないかと思ったんだ。おやじがおふくろを探しているふりをしているのは、そうさせないためじゃないかと思ってたんだぜ、おれ」
 志乃ちゃんは静かに微笑んだだけだった。
 おふくろを見つけても成敗はしそうもないな。少し安心している自分に気づき、自分の中にある普通っぽさを、少しだけ癪だと感じた。やっぱり人とちがった自分でいたいじゃないか。
(そう思うことが普通だよ)
 もう一人の自分が言う。
 じゃあ、普通って何だよ。俊哉は言い返す。
(自分で考えな)
 俊哉は自転車をこぎながら、自分自身と話し合っていた。
 この後の予定は決まっていた。
 ブルースの唄を聴くのだ。

テーマ:自作小説 - ジャンル:小説・文学




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